Monday, May 23, 2011

カナダでの東日本大震災チャリティコンサート開催


2011年3月11日、未曾有の震災にあわれた皆様には、心より深くお見舞い申し上げます。

2011年5月21日、カナダ・ブリティッシュコロンビア州の田舎町の教会で、東日本大震災チャリティコンサートを私達夫婦(3年半前にカナダに移住)と友人達で開催しました。準備期間が実質6週間でしたが、観客総立ちの大成功でした。聴衆の共感を呼ぶメッセージ考え抜いて送ったこと、そのメッセージを音楽の力と編み合わせることで、多くの聴衆の方が恐らく生涯忘れないコンサートになったのではないか、と、今コンサートを終えてみて感じています。その私個人にとっての私的な記録を報告します。かなり長いんですが。最初にコンサートの目的、そしてコンサートのフォーマットと内容、そして、その結果どうだったか、の順番で書きます。

1. チャリティコンサートの目的について

震災直後には、寄付金を集めることのみを目的とした、クラッシック音楽のチャリティコンサートを開こうと、妻と話していました。開催6週間前になり、いろいろ考えたあげく、以下のことを目的としました。
  1. 震災に遭われた方々の救援に役立つ寄付を集めること
  2. 震災の被害の実態について知ってもらうこと
  3. 福島第一の原子力災害について知ってもらうこと
  4. 福島第一の原子力災害の実態の真実を解明するために、放射性同位体の分析をしている日本の科学者をサポートすること
  5. 今回の震災と原子力災害から得られた教訓の一部を共有し、カナダの人々にも役立ててもらうこと
です。今回のコンサートの準備に着手した6週間前時点(4月上旬)で、私達が住んでいる町を含め、北米では、既に多くのチャリティコンサートが開かれ、その多くは1.を目的としていて、実際人々の暖かい気持ちが多額の寄付金となって集まっていました。そんな中で、私達がなぜ、2.-5.を目的として追加したか説明しておきたいと思います。

まず、2.の「震災の被害の実態について知ってもらうこと」について。震災後3週間ぐらいたってからだったでしょうか、Twitter上でさとなおさん(@satonao310)が紹介されていた、震災直後に被災地に派遣された看護士の手記を読んで、涙を流しました。マスメディアからは伝わってこない、内からの声を垣間みて、これは、多くの人に伝えるべきだ、と考え、この目的をかかげました。


3.の「福島第一の原子力災害について知ってもらうこと」ですが、準備を開始した4月上旬時点で、海外から日本を見た時に、今回の災害は、地震と津波による被害と、原子力災害、この二つを切り離してはチャリティコンサートを開くことはできない、と感じていました。4月上旬時点で、福島第一の事故収束の道が見いだされず、海外のメディアが日本の原発事故対応に対して批判的な論調になりつつあり、その後、4月下旬には、汚染水を海に垂れ流して世界のひんしゅくを買っていました。カナダの人たちは、ナイスで親切な人が多いので、原発の話に触れずチャリティコンサートを開いても、確かにコンサートは成り立ったとは思いますが、東京に住んでいた時に福島第一原発で発電した電気を使っていた身、そして、私自身、大学時代に原子炉を利用した実験をしていて多少の知識を持ち合わせていた身、私には説明責任があるように思えてならなかったのです。福島で汚染水を海に垂れ流しておいて、それについては触れずに、ただ、助けてください、と言うのは、私個人として、言いにくかったのです。

4.ですが、今回の原発事故への対策を正しく決めて正しく実施するには政策レベルでも、個々人での対応レベルにおいても、真実を知る必要があります。放射性同位体の特定と定量一つとっても、真実を知るには膨大な労力と、複数の分析(者)による検証が必要です。ましてや、原発を運転することに関しては「プロ」かもしれないが、放射性同位体の定量についてはどうやら素人らしいTEPCOだけの分析では真実は把握できません。真実を把握することで、正しい対策を正しく実施することにつながり、国民の健康確保や世界の人々の不安や疑念を低減することにもつながります。日本のためだけでなく、世界の人々も賛同・共感しうる内容です。それゆえ、「福島第一の原子力災害の実態の真実を解明するために、放射性同位体の分析をしている日本の科学者をサポートすること」を目的の一つにかかげました。

最後の5.の、「今回の震災と原子力災害から得られた教訓の一部を共有し、カナダの人々にも役立ててもらうこと」は、亡くなられた多くの方々、生き残った方々の無念さを、無にしないという意味と、自分の時間とお金を費やして寄付をしていただく以上、貰いっぱなしではなく、出来る限りお返しをしたいということを考え、目的の一つとしました。

まとめると、震災の実態を「内なる声」として伝えつつ、福島原発で世界に大迷惑をかけていることの説明責任を果たしつつ、参加者の方々自身、お子さん、お孫さんや次の世代の役に立つようなメッセージも伝える、そういうコンサートにしよう、それが私達が追求したことでした。

2. コンサートのフォーマット

まず、妻がクラッシックピアノを弾くことと、クラッシックとした方がより裕福な高齢者たちが来ることから、クラッシック音楽コンサートとすることを前提に準備を始めました。私達の友人あるいは友人の友人の音楽家に声をかけ、参加を依頼しました。本当に有り難いことに10人以上の音楽家、そのほとんどが現役プロの方々が受けてくださり、ああ、なんていい町なんだここは、と感謝しました。尚、田舎町の音楽家と言ってあなどってはいけません。この町から車で1時間のビクトリアに、カナダでも屈指の音楽学校があるため、ここの音楽水準は実は驚くべきものがあります。

フォーマットは、先ほど書いた震災直後に被災地に派遣された看護士の手記を英訳してくださった匿名の翻訳者の方がいらしたので、その方の翻訳をベースに、台本を作って、ナレーションをし、そのナレーションのいたるところに、クラッシックの楽曲をちりばめる、という構成にしました。曲の選定と、音楽家への依頼、そしてその曲をナレーションのどこに配置するかということについて、コンサート企画にあたり突如芸術監督となった妻のYokoはコンサートの前日まで調整に苦労していました。当初、音楽家の方々に依頼したときは、みなさん、自分の好きな曲が弾けると思っていたのにもかかわらず、「いや、その曲ではなく、この曲にできないか」とか、「その曲は入る場所がないので、あきらめてほしい」とか、アマチュア演奏家の妻がプライドの高いプロの演奏家に向かって強く言う訳ですから、それはそれは大変でした。ただ、確かに私の妻は演奏家としてはプロではありませんが、音楽のビジョナリーとしてはアマチュアではありません。なので、夫として最後まで応援しました。最後の演目が確定したのは、コンサート前日の夕方でした。演奏家の方々には辛抱強く対応していただいて本当に感謝しています。

クラッシックのマニアの方は以下の多くの曲をご存知かも知れませんが、芸術監督が考えに考え抜いた選曲と、ナレーションとの融合です。曲目を示しますので、ちょっと雰囲気を想像されてみてください。悲しみ、希望、怒り、そういう気持ちを、ナレーションと音楽の両方で表現することで、この実話が、より、人々の心の奥底に突き刺さるように構成されています。

Kousaku Yamada, Lyrics by Hakushu Kitahara
Konomichi (Japanese Children's Choir)

Maurice Ravel
"Ondine" from Gaspard de la nuit (piano)

Prokofiev
Toccata op.11 (piano)

Igor Stravinsky
Elegy (viola)

Frédéric Chopin
Nocturne in E minor (piano)

Johannes Brahms, Lyrics by Emanuel von Geibel
Geistliches Wiegenied Op. 91 No. 2 (mezzo, viola & piano trio)

Gustav Mahler
Ich bin der Welt abhanden gekommen (mezzo)

Claude Debussy
Reflets dans l'eau (piano)
Ludwig van Beethoven
Piano Sonata No. 31 1st movement (piano)

Carl Reinecke
Flute Concerto in D Major 2nd movement (flute & piano)

Franz Schubert
Fruhlingsglaube (soprano)

Johannes Brahms, Lyrics by Friedrich Rückert
Gestille Sehnsucht Op. 91 No. 1 (mezzo, viola & piano trio)

Massimo Pintus & Annette Lampson
Oceans Between (gongs, 世界初演)

Kousaku Yamada, Lyrics by Hakushu Kitahara
Konomichi (soprano)

最後から2曲目の、「Oceans Between」で、看護士の方の手記を締めくくり、一番最後の山田耕筰の「この道」の前に、私達の友人でもあり今回のコンサートの実行委員でもあるDr Ikemuraに、私が、今回の震災の教訓と、福島原発事故の現状ならびにカナダへの影響と対策について25分ほどのインタビューをしてもらう、という時間を盛り込みました。

3. インタビューの内容

インタビューでは、「福島第一の原子力災害について知ってもらうこと」「今回の震災と原子力災害から得られた教訓の一部を共有し、カナダの人々にも役立ててもらうこと」を念頭においた話をしました。実は、いったいどうすれば、看護士の手記と、原発事故の話を、一本の線でつなげて、教訓としてまとめるか、当初大変に苦労しました。

そんな時、心打たれるエピソードを見つけました。防災学研究者の片田氏が報告されたものです。


まだお読みになっていない方は、まずは、是非お読みいただきたいと思います。私は思いっきり泣きました。

インタビューでは、片田氏が釜石市で実践された防災教育ならびに、「ハザードマップを信じるな、ハザードマップには、最新の科学の知見を反映させた津波到達地点や、安全な場所が記されているが、これはあくまでシナリオにすぎない。最後は、自分で状況を判断し、行動せよ」という教えがもたらした、地震直後の小中学生の冷静沈着な行動と生存率99.8%のエピソードをまず紹介し、福島原発事故の震災前の準備状況(地震に大しても安全だ)と事後の対応(まだ安全だ)の両方に結びつけることにしました。

事後の対応についての例として、4月下旬に政府が発表した汚染地域の校庭利用に関する被曝基準(例の20mSv/year)に関しての私見を述べました。20mSv/yearが正当化されるのは、(1) Monitor - 生徒一人一人の被爆量をモニターすること (2) Inform - その被曝量のリスクについて、諸説を生徒と保護者に説明すること (3) Minimize - 被曝量を低減する措置をとること (4) Individual Choice - 個々の生徒に被曝量を低減するための選択肢を与えること(例えば、校庭での体育授業への参加を強要してはならない)の4点が満たされてはじめて正当化されるレベルであることを述べることにしました。これはICRPの基本的考え方を解説した記事を参考にさせていただき私が改変いたしました。

この後、カナダの西海岸への影響についての話をし、3月に観測された放射性物質がどれほどの量なのかを、バナナ当量(バナナを食べると自然界に存在する放射性カリウムによる被曝があります)でまずは説明、今後さらなる爆発が福島であった時の対処、ならびに汚染された海水や魚類が西海岸に到達する前の準備について、もし防災学者の片田氏だったらどう語るだろうかと考えながら、先ほどのMonitor/Inform/Minimize/Individual Choiceという考えに従って、具体的に説明することにしました。海洋汚染により、もしかすると半年か一年後に当地の魚からも放射性セシウムとか検出されることになるかも知れませんが、まずはその可能性を知っておくこと、そして、検出された場合の判断をどうするか、そもそも、誰が魚の汚染状況を半年後から調べるのか、などを事前に考えてもらうことで、不要なパニックを避け、健康な生活を維持することを期待してのことです。

尚、本当は他にもいっぱい伝えたかったことがあったんですが、時間が限られているので、削りに削り、最終的には、過去にカナダの首相のスピーチライターを務めたことがある友人の指導を受け(なんたる贅沢)、明快簡潔で人々の共感を得易いものに仕上げました(前夜でしたが、汗)。有難うJohn. そして、Interviewerとして登壇したDr Ikemuraには、明快な質問で私の聞き取りにくいEngrishをうまくフォローしてもらいました。有難う。

4. さてコンサート

「さてコンサート」とか軽く言ってますが、準備期間が6週間で、かつ、これだけ複雑な作りになっていて直前までプログラムが変わっていたので、リハーサルの時間がなく、全てぶっつけ本番です。演奏家やナレーターの方々は個別には練習を繰り返していますが。当日かなりどたばたしました。

コンサートのあった町は人口5000人強、周辺地域を加えても2万人強ぐらいの場所で、かつ、連休でした。連休は多くの人がセーリングやキャンピングにでかけて、日本の都心の正月のように静かになるんので、いったい何人来てくれるか心配したのですが、250人以上の方が来てくださいました。

ナレーション、そして演奏、またナレーションと、糸を紡ぐようにして静かにゆっくりとコンサートは進みました。 私は何度もナレーションのもとになった看護士の手記を読んでますが、当日もナレーションを聞きながら涙を流していました。

そして、ぶっつけ本番なのにもかかわらず、全ての演奏がナレーションにとけ込んでいったことに驚きました。演奏家たちもナレーションの内容に圧倒されて、影響を受けていたのでしょう。今回のコンサートで3曲歌ったメゾソプラノのオペラ歌手がコンサート後、こんなメールをくれました。

「今まで自分が演じたコンサートの中で、最もパワフルで、 最も感動したコンサートだった。ナレーションの内容に心を動かされて、歌っている曲の解釈がその場で変わったわ。最後の曲なんて、何度歌えなくなりそうになったことか。本当は、その場で座り込んで大泣きしたかった。でも、私の心の中の天使にお願いして、そして生前この曲を何度も歌っていた、私が尊敬する歌手の故Maurreen Forresterに、心の中で「どうにか私を最後まで歌えるように導いてください」とお願いしたの。」

コンサートに来てくれた人たちも、同じような思いだったと思います。まるで、会場全体が魔法で一つになったような錯覚を持ったぐらいです。そこにいた演奏家も聴衆も、みんな、息をのんで看護士の手記に耳を傾け、話の内容を音楽に重ねて想像をふくらましていたのではないかと思います。

彼女が泣きそうになりながらも最後に歌った、ブラームスのGestille Sehnsucht Op. 91 No. 1、今でも頭から離れないです。

このあと、手作りの鐘による演奏(世界初演)があり、これがまた、すごい威力で、どこにいるのか一瞬わからなくなりました。死者のうめき声のような、天国にいる人の声のような、押し寄せてくる津波のような、なんとも言葉では表現できない演奏でした。

そして、インタビュー。タイトルは、「震災で亡くなったある少女の声—震災と原子力災害から何を学ぶか」("A Voice of a Girl in Heaven" Lessons we can draw from the aftermath of the tsunami and the Fukushima Nuclear Plant explosions)ちなみに、私は大人数の前で英語をすらすらはなせる程自分の英語に自信はありません。が、このインタビューが始まる時点で、このコンサートは私に十分な勇気を与えてくれました。聴衆の方々の真剣なまなざしを感じながら、ゆっくりと、丁寧に、自信を持って、先ほど前項で書いた内容の話をしました。最後は、

「今日は本当にこのコンサートに来てくれてありがとう。今日あなたがここに来たことで、あなたの募金によって、あなたは日本の被災者を助けてくれている。そして、もし今日、このコンサートで学んだことをあなた自身、あるいはあなたの子孫の将来に活かしてくれるのなら、多分、釜石で亡くなったあの女の子は、天国からあなたを笑顔で見つめてくれるだろう。最後に、日本の美しい歌曲「この道」でこのコンサートを終えることにしよう。」

と、インタビューを締めくくり、スウェーデン人のソプラノ歌手が、この道を美しい声で歌って、コンサートが終わりました。

5. 「この道」

「この道」が終わり、演奏家一同が壇上に招かれると、大きな拍手が始まり、250人全員が総立ちになっての拍手となりました。なかなか拍手が鳴り止みませんでした。みんなどんな思いだったのでしょうか? 一人一人質問したわけではないし、私は拍手が終わった後、多くの人に福島のことで質問を受けていて、みんなの感想を聞く時間がなかったのですが、コンサート後のレセプション会場に入って、カナダ在住の日本人女性の方々が中心となって用意した300皿分の寿司やらスポンサーが提供してくれたデザートが売り切れているのを見るにつけ、ああ、みんな、何か感じ取ってくれたんだな、その余韻をこのレセプション会場でみんなと共有しているんだな、と思いました。いろいろ摩擦もありましたが、目的の項に書いたようなビジョンを貫いてよかったと思いました。実際、演奏家全員が、コンサート後、芸術監督としてYokoが下した決断に、最後は皆が納得、満足、そして、感謝をしてくれました。

主催者の一人としての勝手な思いなんですが、「この道」の歌詞にあるように、今回の演奏された曲を脳裏の片隅に記憶してくれて、いつかその曲を思い出したり、どこかで同じ曲の演奏を聞いた時に、ナレーションで語られた東日本大震災の被災状況のこと、福島原発のこと、釜石市で亡くなった中学生の女の子のことを思い出してくれればいいな、と思っています。

この小さな町のチャリティコンサートに来てくれた方々からお預かりしたお金(チケット代、ならびに寄付金や寿司などの売上げ)は、95%を、Think The Earthという、震災救援活動をしているNGOに寄付金を配布しているプロジェクトに、残り5%を、放射性同位体の定量に当初ボランティアベースでの開始を呼びかけ、今もアクティブに真実の解明に尽力されている日本地球化学会に寄付いたします。

6. 嬉しかったこと、そして謝辞

このコンサートには、こちらに留学してきている日本人の高校生が数人来てくれたそうです。妻に小さな声で、「コンサート、よかったです。」と言ってくれたそうです。他にも当地高校生が来てくれていて、若い人たちにも見てもらえて、すごく嬉しかったです。学校の先生もいらしていて、「是非、うちの学校の子ども達にも聞かせてあげたい話だった」と言ってくださりました。

ここまで、私が担当したところを中心に私的な報告として書いてきましたが、このコンサート、本当に多くの人々の手によって作り上げられました。全員のお名前と役割を紹介しませんが(よろしければプログラムにあります)、まず、手記を書かれた匿名の看護士さん、そして、それを英訳された匿名の翻訳者さんに感謝いたします。貴方達がこの記録を発表していなかったら、この小さな町の250人の人々は、東日本大震災のことをすぐに忘れていたかも知れません。また、日本在住のWebデザイナーの山田岳史さんには、ポスターやチケットのデザインをしていただきました。彼の素晴らしいデザインが、コンサートが目指す目標の高さを象徴していて皆の士気があがりました。演奏家のみなさん、そしてボランティアの皆さん全員が、コンサートの魂を感じ取って、プロとして聴衆の方々をもてなしてくださいました。ある聴衆の方が私に声をかえてくださりました。「このコンサートは、全ての点において、完璧だった。全ての点において。」そんな評価をいただけたのも、このコンサート運営に携わった全ての人々の力が結集したからに違いありません。

そしてスポンサーの皆さん、皆でコンサート後の余韻を共有した時間を豊かにしてくださいました。どうもありがとうございました!

Lastly but not leastなんですが、Dr Ikemura、あなたのボランティアとりまとめ、インタビュー準備、そして、マーケティング活動がなければ、このコンサートは成り立たなかった。深く敬礼いたします。

7. これから

本当は、高山義浩医師が鋭く指摘しているように、今も少なくない人々が、初期救援ステージにあることをも指摘したかったのですが、できませんでした。この状況について、私は途方に暮れています。アーティストの方が、中学生や高校生のペンパルになりたい、と申し出てくださったのですが、まだ、パソコンやインターネットを使えない人々にはどうしようもありません。

そういうことも含めて、現在、別の都市での同様のコンサートの企画中です。それについては、また。

今回Think the Earthプロジェクトに届けられる寄付金で、少しでも多くの方が初期救援ステージから脱出できることを祈ります。




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